18年の時を経て、あのNHK伝説の名番組「プロジェクトX」が「新」として復活、
もう嬉しいしかないセトギワです。日の当たらないところで懸命に奮闘した男たちに
スポットライトをあてたドキュメント番組の金字塔。
何かを成し遂げる過程で、次々と現れる壁に立ち向かい克服していく男達の姿を、
ナレーターの田口トモロヲさんが朴訥と語る。
「それじゃあ駄目だ!温厚なセトギワが机を叩いた」みたいな(笑)
あのナレーションがいいんだよね
番組は2000年4月から2005年⒓月まで放送されました。
放送当時、40歳前後だった僕は、県内大手の建設会社の現場責任者として県内各地の
港湾工事を担当。一番大きい仕事は高知新港建設のケーソン制作・据付など数億円規模の
工事を任され、半端ながらも懸命に戦っていたので
超大型プロジェクト(スーパーゼネコンの一兆円規模)で奮闘する「本物」の戦いを見て、
「よし頑張るぞ」と、奮い立ってみたり「いやいや無理無理」それは別世界だと感じたり
していました。
録画してほぼ全話見ていましたが、特に好きだったのは、車やバイクの開発や、レース物、
建設大型プロジェクトに挑む男たちの物語でした。
今回は、僕にとって「神回中の神回」と思った世紀の難工事に挑む「男たち不屈のドラマ
瀨戸大橋」についてオープニングは田口トモロヲさんっぽく振り返ってみます。
巨大プロジェクトに着手するには訳があった・・・
多くの修学旅行生たちが犠牲となった海難事故。四国400万人の悲願があった。
川のように流れる潮流、堆積層が立ちはだかる海中に高層ビルのような
ケーソンを据え付ける事は実現不可能と言われていた。数々の難工事を完成させ、
不可能を可能にすると言われた男が立ち上がった。
1955年(昭和30年)5月11日、霧に煙る瀬戸内海で海難事故が発生。国鉄宇高連絡船
「紫雲丸」沈没。多くの修学旅行生を含む168名もの尊い命が失われ、当時タイタニック号
洞爺丸に次ぐ世界第3の海難事故と言われました。
近年では、今から10年前2014年4月16日、多くの修学旅行生を乗せ韓国済州島に向かって
いたセウォル号の悲劇を思い出します。多くの韓国の高校生を含む299人が犠牲となり、
沈没していく状況が報道され、韓国全土はもとより、全世界が悲しみに包まれました。
当時、子供が高校生だった僕は身につまされ、ニュースで海に向かって娘の名前を叫ぶ
父親の姿をみて胸がつまり涙したものでした。
瀨戸大橋建設のきっかけになった国鉄連絡船「紫雲丸」沈没事故、犠牲者が多かったのが
高知市長浜にある南海中学校です。同校は、僕の中学時代の恩師H先生が、長年校長を
つとめていましたので、仕事で先生を訪ねて何度か訪れました。校門近くに慰霊碑があり、
行く度に合掌一礼しました。毎年、事故の起きた4月に慰霊祭が行われています。
今から70年近く前の事です、ご遺族の大半は亡くなっていますが、ごく少ないご遺族は
毎年慰霊祭に参列される様子が報道されています。未来ある子供たちを、楽しいはずの
修学旅行中に海難事故で亡くしたご家族の悲しみを思うと胸が痛みます。
番組は悲しい事故の記録から始まります。海から引き上げられるご遺体、棺にすがって
泣き崩れる遺族の写真。
後に、5000人の作業員を率いて「世紀の難工事」を完遂させ伝説の技術者と呼ばれた
杉田秀夫さん(事故当時24歳)は、瀬戸大橋に近い香川県丸亀市に生まれ、地元
丸亀高校から東京大学に進学、卒業後は国鉄(現JR)に就職。鉄道工事施工部門で
活躍され、沈没事故当時は大阪の鉄橋建設現場で施工管理に従事していました。
時は流れ、本四連絡橋公団坂出工事事務所の初代所長に任命されると、東大出のエリート
でありながら、自ら潜水士免許まで取得して、水深50mの危険な海に自ら調査潜水をする
為に、すでに50歳を超えた体力アップのため、丸亀の自宅から片道12キロを自転車で通勤
しました。
ただでさえ潮流が早く、ベテランダイバーでも手を焼く5ノットの暗い海に潜って、
想像以上に難工事だと実感します。坂出側の橋脚土台部分には、必要な支持力が得られる
岩盤層まで50mほどの堆積層があり、それを取り除く事は至難の業でした。
堆積層を取り除くためには発破作業(ダイナマイト爆破)が必要で、爆破実験の結果、
周辺の魚が死ぬことがわかりました。杉田さんはその事実を包み隠さず「漁業関係者」に
報告します。
漁業で生計を立てている方にとっては、死活問題です。彼らにとって魚が死ぬことも
さることながら、魚が逃げて周辺海域からいなくなる懸念がありました。
杉田さんは、住民説明会で何度も繰り返し橋の必要性と、検討中の工法について説明を
重ねます。時に怒号が飛び交い、漁業関係者に胸ぐらをつかまれたこともあったそうです。
説明会の回数、実に500回。当初、工事に反対していた漁業関係者たちはやがて、嘘を
つかず、誠実な杉田さんを信頼しはじめ、一緒に酒を酌み交わし、前向きな議論を始めます。
杉田さんを慕って参画した伝説のサルベージダイバー飯島靖郎さんから、ダイナマイトを
少量で連続爆発させると、魚が死なず堆積層の破壊が出来ることを知り、爆破実験に成功
します。
順調に工事が進捗するなか、杉田さんは奥さんの深刻な病気(胃がん)に直面します。
職場の誰にも知らせず、毎晩病院で奥さんに付きそい、朝は三人の娘さんの朝ご飯を
つくってから自転車で通勤しました。
しかし、橋の完成を楽しみにしていた奥さんは、12月24日クリスマスイブ。杉田さんの
腕の中34歳の若さで旅立ちます。奥さんの病気を工事関係者は誰も知らず、皆が悲しみ
にくれ、葬儀ではあちこちですすり泣く声が聞こえたそうです。
杉田さんは、葬儀の当日も「説明会」に向かいます。「こんな日にまで仕事ですか」と
義母にとがめられますが、その日は「漁業補償の話し合いの日」であり、生活がかかって
いる方々との約束を破るわけにはいかないと・・・
それから彼は、三人の子育てと橋の完成という、「二つの大事業」に人生を捧げる事に
なります。毎朝早く起きて三人の朝食を作り、片道12キロを一生懸命自転車こいで出勤し、
自ら潜水して判断を下します。
据え付けた巨大ケーソンが傾くトラブルも、ベテランダイバー飯島さんの助言で克服。
昭和63年4月、のべ900万人が10年の歳月と、1兆1千億円を投じた夢の架け橋が完成。
地位も名誉も頑なに拒み、現場を愛し、現場復帰を夢見た杉田さんは、ガンと闘い、
1993(平成5)年、娘さんたちに囲まれて62歳の生涯を閉じました。
男が惚れる男の生き様は、多くの人の心に残りました。飾らず一生懸命に仕事を成し遂げる。
あらためて番組を見て、ふたたび感動で涙腺崩壊。これまで楽な仕事を探して、見栄を張って
生きてきた自分を恥じました。
「新プロジェクトX」第一話は「黒部ダム」オープニングは中島みゆきさんの大ヒット曲
「地上の星」、イントロから鳥肌もんでテレビにかじりつきました。今回は若干アレンジ
を変えたそうですが、全く違和感なくスッと入ってきて心躍りました。
番組の後半から流れるエンディングテーマ「ヘッドライト・テールライト」が心にしみます、
僕の旅もまだ終わりません。
文中、「コミック版プロジェクトX挑戦者たち 男たち不屈のドラマ瀨戸大橋」
原作・監修 NHKプロジェクトX製作班、作画・脚本 笠原 倫様
から一部引用させていただきました。
最後までお読みいただきありがとうございました。