【職業体験】二級土木施工管理技士資格を取得し現場監督デビュー、のんきに構えていて作業船クレーン運転士に怒鳴られた苦い経験

仕事体験

まったくド素人が、営業の合間にテキスト・過去問で反復学習、二級土木施工管理技士取得
・消波ブロック制作、基礎捨石投入工事で現場監督デビュー
・時間との闘いを痛感。作業船を待たせ、クレーン運転士に怒鳴られた。

建設営業として約6年経験したころ、僕を会社に導いてくれた専務(元:公務員で父の同僚)
から、「勉強して技術屋にならんか、今より収入が上がるし、将来食いっぱぐれもないぞ」
と言われ、やってみますと一念発起。したものの・・

高校は普通科、大学は法学部でしたから、土木の「どの字」も知りません、工事部の
先輩たちは、ほとんど工業高校の土木科や、工業高等専門学校出ばかり、測量や土木の
イロハはすでに学んだ人が技術職として入社して「現場監督」として活躍していました。

<strong>リッキー</strong>
リッキー

無理じゃない?

当時、おおざっぱに年収で、営業職が350万、技術職で500万~600万(残業含)くらい、
手取りで月10万くらい技術職が多い感じでした。現場監督は残業が多く、中には年収が
取締役部長以上の先輩もいました。

営業部長(後の常務)の紹介で妻と知り合い、結婚した僕は、長男が生まれ、ますます
仕事のモチベーションが上がり、同時に収入アップを渇望していました。

現場監督のライセンスとも言われる「土木施工管理技士」の国家資格、まずは二級の取得
に取り組み始めました。幸い土木営業時代には、空き時間があり、「よし頑張るぞ」と、
分厚いテキストを開きますが、最初から「わけわからん」(笑)。

最初、戸惑いましたが、一つ一つ単語の意味を聞いたり調べたりしながら、コツコツと
勉強を続けました。家では毎晩、ビールと酒の晩酌、ソファーでうとうとして、そのまま
爆睡なのですが、夜中に一度目が覚めたら顔洗って机に向かいテキストを開き、たとえ
30分でも勉強しました。

<strong>リッキー</strong>
リッキー

えらいやん

今なら、ネットで検索すれば、わかりやすい動画や、資料などがたくさんありますが、
当時は解らない単語は、メモして後日先輩や上司に聞くようにしていました。
みな親切に教えてくれて助かりました。「そんな事も知らねえのか」などとイジる先輩も
いましたが、そんな先輩ほど親身になって教えてくれました。

そんな勉強を半年くらい続けたでしょうか?試験日を迎え、無事一発合格をすることが
出来ました。

やがて、初めて「現場監督」デビューの日がやってきました。受注金額約2500万円
消波ブロック40t型テトラポッド製作、据え付けマウンドに基礎捨石を投入する
県発注工事でした。

「この工事をやってくれ」と、工事部長に言われ、「ハイ」と返事は良かったのですが、
何から手を付けていいかわからず会社で座っていたら、先輩から

「施工計画書作れんだろ、わからなければ頼みにこんか!」と叱られました。
「実行予算は出来たか」、「下請けの契約書作れ」、「現場事務所の準備も忘れるな」

<strong>リッキー</strong>
リッキー

ちょっとまて

なにからやればいいか解らず、なんだかんだ全部、工事部の先輩にやってもらい、
完全にガキツカ状態でした(笑)何もわからなくて当然といえば当然なんですが、今思えば
「聞く姿勢」と「学ぶ姿勢」が薄く、わかったフリをしている「生意気な若造」だから
風当たりが強かったのだと反省しています。

資格取得するまでは、謙虚に聞く姿勢をみせ、可愛がってもらったのに、資格を取ると、
一人前気分になってしまったのでした。1メートル1千万円(当時)と言われる港湾工事
2500万円程度の小規模工事でしたが、施工までにやるべきことはたくさんあり、当初は
面食らいました。

先輩たちに助けられて、なんとか工事は始まりました。現場監督は、工事を統括する
仕事ですから、監督が仕事をわかっていないと駄目なのですが、僕はわかっていません。
野球を知らない人が、高校野球で監督するようなものです(笑)

現場は太平洋に面した県道沿いの小さなヤードです。小さなプレハブに救急箱程度しか
なく、電気も通っていません。毎日のルーティンは、朝礼・体操・危険予知活動・下請けの
社長(親方)と本日の作業内容の確認をします。下請けは、会社と姻戚関係にあるいわば
兄弟会社で、勝手知ったる仕事仲間なので、実際、生コンの手配など本来「元請けの監督」
である僕がやるべきことを下請け社長の親方が全部「段取り」してくれていました。

これはどうする?

え~と、資材は、あそこに置いていいのか?
ちょっと待ってください・・・
型枠の位置はいつものところでいいな?
ちょっと待ってください・・・

<strong>リッキー</strong>
リッキー

頼りない監督

施工計画書を改めて見てみると、ちゃんと、資機材置場や、型枠の配置位置やピッチなど
書いています。おんぶにだっこで先輩に作ってもらった施工計画書、せめて内容を熟読して
把握しておくべきところを適当に流し読みしていたので、いざ施工となって大慌てして
しまいました。

後にまた、思い知らされるのですが、工事は「段取り8割、仕事2割」といわれるほど、
段取りが大切です。逆に言えば、段取りさえきちんとできていれば、あとは順調に仕事が
進むのですが、それが出来ていない。段取り2割ですから、当然バタバタです(笑)

最初に型枠の配置位置を施工計画どおりにスプレーでマーキングしておけば、「そこに
置いて」で済むのに、トレーラーが現場に入ってから、えーと・・・

端から5mに一個目だから・・・ってやっていると、時間に追われている運転手にも
迷惑を掛けますし、仕事をさっさと進めたい作業員にも嫌われます。

通常、新人技術者は現場に配属されると、先輩現場監督の補佐から始まって仕事を覚えて
いきます。先輩たちの弁当・タバコ買いパシリや、事務所周りの掃除、測量の手元などを
こなしながら、現場運営のイロハを学んで成長し、やがて一人前の監督に成長していきます。

ところが、今回は小型消波ブロック製作、基礎捨石投入程度の小工事だったため、そんな
「下積み」をすることなく、ド素人が「現場代理人」兼「主任技術者」を任されてしまった
のでした。

現場代理人とは、文字通り「社長の代理として現場を司る人」主任技術者とは、公共性の
ある工事で4000万円未満の工事で配置が義務付けられている資格で、2級土木施工管理技士の資格を有するか、一定の実務経験年数が求められます。

僕は、ペーパードライバーのなんちゃって監督。
「セトギワ、生コン9時で15㎥頼んであるぞ」
「9時前には型枠寸法、役所の立会頼んでおけよ!」「はい!」(笑)
まるで選手に指示される監督です。

<strong>リッキー</strong>
リッキー

どっちが監督よ

消波ブロックの製作は、これ以上簡単ないくらい簡な工事です。(※個人の意見です)
設計で決められた規格寸法の型枠(今回はテトラポッド40t型のリース品)を組み立てて、生コンを投入。
中2日程度で型枠外して、転置、養生すれば出来上がり。

監督入門編にはちょうどいい簡単さでした。僕がするのは、完成したブロックに
「製作番号」をスプレーで書く事と、出来形管理図表に寸法書く事くらいでした。

手慣れた作業員数人を率いる親方(下請け社長)が、テキパキ現場を片付け「セトギワ先に帰るぞ」
と4時半くらいには引き揚げ、僕は本社に帰って日報や写真の整理をして帰る。
そんなルーティンで単調なブロック製作工事は終わりました。

あと一つの工種は、「基礎捨石投入」です。防波堤の土台基礎となるケーソンを据え付ける
ため、石を投入して平たく均すのですが、今回の担当パートは、石の投入のみです。

港湾工事で使用する基礎捨石(きそすていし)は、花崗岩(かこうがん)と呼ばれる
丈夫な石材で、多くは瀬戸内海の香川県小豆島から、兵庫県家島群島が一大産地です。
中でも姫路沖に位置する家島では、ガット船と言われるクレーン付き運搬船が多く、
日本全国に石材を運搬投入をしていました。

現場には、家島のガット船が入ってきていました。当時、全国の港湾工事が盛んで、
石を運べば運ぶほど儲かる船は、一刻も早く荷下ろしして、次に行きたいのですが、
天候が急変すれば、近隣の港で低気圧をやり過ごさなければいけません。

とにかくせっかちで、何かと急かされます。失礼を100も承知で書きますが、海の
ダンプカーと呼ばれる「ガット船」の世界には気性の荒い人もいます。黙っていても、
心の中では「はよせんかい、だぼ(あほ)」なんです・・・

そこに呑気な、なんちゃって監督の僕が登場(笑)

沖に投錨して待機しているガット船に乗り込んで、石材の検収をし、数量を確認。
所定の投入場所に石を投入するのです。下請けの船外機で船に乗り込み、

写真は港湾工事のイメージです。本文とは関係ありません。

テープを貼り、紅白のポールを使って、四角推の体積を求め、絵と数量を黒板に
書き写真を撮るのですが、不慣れな僕はいちいち時間がかかります。

あ、間違えたと黒板書き直し、もたもたもたもた・・・船のマイクからは「まだかい」
と心の声がもれてきます。下請け職員に「はい、ここでテープ持っといて、もうちょっと上」なんて
呑気にやっていた時です。

マイクで「いつまでやっとんや、はよせんかい!!」と、ガット船のクレーン
士(兼船長)の怒鳴り声が港に鳴り響きました。

ビックリする僕に、船の手配をした関西の下請け建設会社の職員が、「すんません今回の
船長、気が荒く短気でして堪忍です」となだめてくれました。

僕にしてみたら、まがりなりにも元請けの現場代理人です。「元請けにその口のききかた
はなんだ」と、言い返したいところでしたが、何もわからない「なんちゃって」の分際
そこはぐっと我慢でした。早く一人前にならないといけないと思い知らされました。

現場が終わると、ヤードを片付け、完成検査書類を本社で作成しました。先輩や上司が
いるので心強いです。完成検査書類は、完成写真や、施工状況写真、安全管理・品質管理
書類などをファイルにまとめて検査に臨みます。

現在は電子納品になってきましたが、当時は紙ベースの資料が全てでした。

検査当日は、現場で製作したテトラポッドの出来形確認をしていただき、現場近くの
下請け会社に移動して、書類検査となりました。

土木事務所の検査官は、これは、○○で管理したの?
○○は規格値ギリギリだったけど、見直しはした?
工程はここで急激に上がっているけど・・・うんぬん。

「ええ、まあその~」

<strong>リッキー</strong>
リッキー

田中総理か

額に汗かきながら、しどろもどろな僕です。上司である工事課長が都度、答えてくれて
いたのですが、頼りない僕をお見通しの検査官でした。
「私は現場代理人に聞いています」
「その点はセトギワさんどう管理したの?」
「はあ・・・つまりその・・」
「規格値は把握しているよねえ?」
「すみません・・」
「セトギワさん現場代理人でしょ」
「すみません・・・」
「もう少し勉強してください」
「会社のサポート体制も不十分ですよ」と、厳しい指摘を受けたものの、無事検査終了。

検査官の温情で、平均的な評定点は頂きました。思ったよりいい点数でした。
先輩や手慣れた下請けに甘えて、他力本願で適当に流されるがまま工事完了。
「もっと、ちゃんとしなきゃ」と反省したほろにがい現場監督デビューでした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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