
ウサギを蹴り〇した、ハトを〇した・・・
ネットニュースを見ていると、悲しく見たくないニュースが目に入る。
世知辛い世の中だから、うっぷんの溜まった人間が、か弱い生き物をあやめる。
僕はとても動物が好きだから、そんなニュースを見聞きするととても腹が立つ。
かつて、ウサギも2羽飼った(飼ったって言葉きらいだけど)から特にウサギには感情移入してしまう。

ウサギ年です
なんて非道い奴らだ!! と怒ったところで、ふと、自分を振り返ってみた。
餓鬼(ガキ)の頃、川にいた何の罪もないアカハライモリに石を投げてあやめた事があった、フィルムの筒状ケースに家グモを入れてあやめたこともあった。
ムカデ、ゴキブリも、蚊も、無慈悲に叩きつぶしていた・・・
虫けらのようにという表現があるが、小さな虫にも五分の魂、ハトならダメで虫ならいいのか? いっしょやん・・・
自分の中で禅問答が始まった。
どんな生き物も同じく大切な命ではないか?
害虫だからとあやめていたが、害虫にも五分の魂ではないか?
家の中にムカデが出たら、今でも退治する
毒があり、家族に危害が及ぶから・・・
蚊は?菌を媒介するから・・・
とにかく、人間(自分)の都合であやめる。
餓鬼から大人になって、子供が生まれると、あまり殺生をしなくなった。
命の大切さをより強く想うようになったのか?
釣りさえも、魚に対して情がうまれ、しめるのが嫌になってやめた。
ゴルフに行くと、ボールに小さな虫がとまる事がある、それを見つけると、いったんアドレスをほどいてふ~ふ~してどかす。
競技中に手でボールを触ると1打罰になるから・・・
同伴者は何してんのと首をかしげているが、僕はふ~ふ~する。
アドレスからダウンスイングに入る瞬間に、虫がとまる事があり、不本意ながらあやめてしまった事もあった。ごめんよ、遊びで死なせてと、心の中で詫びた。たいていミスショットになり、後味も悪かった。
プロゴルファー福沢義光選手は、試合中、羽をボールに挟まれて動けなくなっているトンボを、1打罰はらって助けたことで、心優しきゴルファーとして語り継がれている。(福澤 トンボ 検索で出てくる^^)
僕もそんなゴルファーでありたい。
近年は、家に出てくるゴキブリさえ、なるべく外に逃がすようになり、家族に笑われるが、なるべく逃がす。そのDNAは息子が受け継いでいるみたいだ。
が、やぶ蚊だけはいまだにパチンと叩く。
かゆいし、く〇暑い真夏、作業している時にプ~ン、チクリ、パチン
ごめん・・・
年を重ねるたびに、命の大切さを考えるようになり、殺生をできるだけしないように心がけているが、事故もある。
熊本県天草を営業車で走っていた時には、目の前に小雀が飛び出して、撥ねてしまった、コツンという音がして路上に転がる雀をバックミラーで見た僕は、すぐ路肩に車を停めて、雀のところに走った。
手に取ると、まだ温かく、目を硬く閉じていた、気をうしなっているだけかもと、近くの水路の水を黄色い口元にあてるが反応は無かった・・・ごめんね・・・
ほほに雀を当てあやまった。スピードは常識的だったし、数羽が田んぼから道路を横切ったタイミングで、避けようはなかったけど、幼い命を奪った事をひどく後悔した。
高速道路を走っていた時にも、小鳥(たぶん雀)がドアミラーに当たった事もあったし、突然目の目にキジバトが見えた瞬間、ルーフ付近でバン!!という音がした。おそらく助からなかっただろう。
時々、速度超過で走ってしまう。(社会通念上常識的な範囲で)
特に急いでいるわけでは無いのに、のろい車が前をふさいでいると、追い越したりする。
そんな時に限って、路上で轢かれた動物の死骸を目にする。
神様の警告だ!!と、アクセルを緩める。本当に警告かもしれない。
そう思っていれば間違いない。
毎朝、目が覚めると寝床で神に祈っている、家族の健康と無事、食事で頂いた命に感謝し、本日の加護を祈って、過去の罪を謝罪する。あやめた命を想って手を合わせる。
食べ物を頂く時にも手を合わせるようにもなった。
まさに命を「いただきます」だから。
年を取ると、涙もろくなるとはよく聞くが、悲惨なニュースに触れると涙がこみ上げるようになった。他人事なのに、いちいち感情移入してしまう。
そして、冒頭の動物虐待のニュースにもどる。
ウサギが可愛そうで仕方ない。

あの男にはとんでもない余罪があると、後日報じられていた。
数の多さもさることながら、そのおぞましい所業も許せない・・・
自分の過去は棚に上げて、怒っているケド・・・
これからも生きとし生けるすべての命を大切にしよう。
動物虐待の悲しいニュースをみて、改めてそう感じた。