【転職してみて感じたこと】
・仕事は楽になり、土日祭日休みで給料大幅アップ
・親の知人のコネでうまいことやった
・当時は営業努力しなくても仕事を受注でき、楽になった
【転職したいきさつと内容】
ディーラーの自動車営業で可もなく不可も無くな営業成績で、マンネリ膠着状態の毎日を
送っていた僕に30歳を前に転機が訪れます。
地方公務員だった父の上司であるAさんから、「セトギワ、○○建設の営業に欠員が出て
募集があるけど、やってみんか?今より楽で給料もいいみたいだぞ」「わしもここ(地方公務員)
を辞めたら役員で行くから、先に入っとけ」との事。いわゆる天下りです。
営業という仕事なので、それほど悩むこともなく、その夜 両親に報告し、翌日には
「はい、やります」と、即答(笑)しました。形式だけの面接を経て入社。
当時、会社は飛ぶ鳥を落とす勢いで、特A(売り上げ規模等でトップクラス)ランクでした。
50人足らずの会社で、売上はたしか50億くらいだったと思います。
会社にも社員にも余裕がありました。県内 同業他社の中でも、社員の給料はトップクラスで
(特に施工管理の現場監督)高知では最高と言われる公務員並みの所得水準でした。
社員旅行は海外、会長と社長の社用車は高級外車、下請業者とのゴルフコンペ
連夜 高級クラブのはしごなど、今では考えられないバブリーな会社(時代?)でした。

仕事内容は上司(役員や部長)のお抱え運転手みたいな感じで、机にボーっと座っていると
「おい行くぞ」と声がかかり、「はいっ」とカバンもって一階の駐車場に走り、
黒塗りクラウンを始動し役員を待ちます。エンジンにオイルが十分回った頃、
ダブルのスーツを着た上司が降りてきて出発です。
行先は県内 西から東まで土木工事を発注していただいている土木事務所など官公庁への名刺
配りと、年に一回「指名願い」といって、「こんな工事施工実績がありますから、指名競争入札に
入れて下さい」という書類を持って県内全域を回りました。
遠いところに行けば、といっても車で40㎞以上くらい?で、日帰り出張手当(500円くらいの日当)
がありました。昼休みをまたぐ日程なら、口の肥えた上司が、「おい、○○で飯食っていくか」となり
当然のように美味しいランチをゴチになれ、毎日が楽しく、「おいどこそこ(遠い営業先)に行くぞ」
と、声が掛かると「はいっ」と、まるでパブロフの犬のように喜んでいました。
転職をして、まず良かったのは、勤務も給与も公務員並みで、土日祝休み、勤務時間はほぼ
8時~17時になった事。夏場だと、まだ明るいうちに家に帰れるようになりました。
自動車営業時代は、基本、土日は来客対応でしたし、勤務時間も朝は遅いものの、夕方は
お客さんに電話したり、終業後に来客対応がありますから、どうしても19時くらいまでは
会社(お店)にいる事が常でしたから、ほんとに楽になったと嬉しく思いました。
仕事内容は、当初、上記のように、ほぼノンストレスな「カバン持ち兼任運転手」で呑気なものでしたが
やがて「営業部主任」という肩書をもらって、本来の土木建設営業の仕事、入札への参加と同業他社
営業マンとの付き合いをするようになっていきました。
こうして、バブル景気が終焉を迎えた1992年頃、僕は一回目の転職を経験しました。
親の知人のコネによって。結果オーライ、大成功の転職でした。
【一回目転職時の時代背景と現在について】
地方公務員だった父は、順調に出世し、定年退職前には1000万円を超える収入があり、
80歳を超えた今でも年金プラス恩給で悠々自適な生活を送っています。放蕩息子
二人が相当スネをかじり目減りしましたが(笑)
そんな父の口癖は、「公務員になれ、今は給料安くても、将来は必ず上がる」と、
いつも言っていました。僕もその後、勤務していた会社の倒産や、それに伴うリストラ
などを経験し、そのたびに父の口癖が身に染みていました。
かつて戦後復興期から1970年代にかけて、高度成長期の日本では、一般企業でも、一度入社した
会社で定年まで働く終身雇用制度がありましたし、年功序列といって、仕事の能力にかかわらず、
勤務年数や年齢によって役職が付く慣習がありました。
真面目に会社に忠誠していれば、そこそこの年収と地位は約束されていた時代でした。しかし、
バブルが崩壊し、グローバル化やデジタル化の進展によって、企業の働き方がが変わると、
どんどん成果主義になっていき。情け容赦はなくなり、あとから入って来た「若いやり手」が
年寄のやり方を全否定するような「嫌な時代」になったとも言えますが・・・
逆に、これまでネガティブにとらえられていた「転職」をするという事は、悪い事ではなくなった
とも言えます。それまでは、何度も転職をしていると、こらえ性のないダメ人間のレッテルを
貼られがちでした。
コロコロ転職して親や家族にもずいぶん心配かけた僕ですが、今は、60歳を前に7回目の転職をし
これまでで最高の年収と最高の仕事内容を得ています。
【今、転職を考えている方へ】
令和6年1月31日現在、能登地方を襲った大地震の復興も道半ばなのに、経済は空前の
好景気に沸きあがっています。転職にはチャンスかも知れません、企業は新たなビジネス
に惜しみなく投資しようとして人材を求めています。
ただ、転職にはリスクもありますので、くれぐれもしっかりリサーチして挑んでください。
「以前、転職は、すればするほど条件の悪い会社に転げ落ちる」と、言われていましたし、
今でもある意味本当です。
「やめるんじゃ無かった~」って泣かない為には、「正しい企業に正しく自分を売り込む」事が大切です。
転職エージェントへの登録など企業の情報収集と、売り込むネタ(職務経歴書の造り込み)等
アクションが必要不可欠です。

いい会社はいい人材を求めています。「なんとなく今よりよさそうだから」な人より、
「こういう会社でこういう仕事をやりたい」という熱意を感じる人を採用します。
だから、これまでやって来たキャリアから何を学んだか、壁をどう乗り越えてきたのか
しっかり職務経歴書に書いてあれば有利になります。
ここまで書いて読み返してみると、転職を勧めているような記事になっていますが、
一つの仕事をやり続けることはとても大切な事でもあります。僕が辞めたディーラーで
当時同僚だった人は、現在大店舗の店長として成功しています。しんどいことも乗り越えて
やり続けた成果です。(継続は力なり)
今しんどいからと、「逃げの転職」する人は、成功する可能性が低いです。
次の会社でも、やがて嫌になって、また「逃げる」可能性が高いです。
ただ、あまりにも労働条件が劣悪で、周囲からも「ブラック企業」と言われている会社で
「飼い殺し」(言葉が悪くてスミマセン)にされているのであれば、なるべく早めに
「攻めの転職」をしましょう。
またまた例えが悪くて恐縮ですが、「ゆでガエル」というたとえ話があります。
お湯にカエルを入れると、驚いて飛び出しますが、水からじっくり沸かしていくと、
ぬるま湯からゆっくり熱くなっていき、気が付いたらカエルは茹であっていた、
という話・・・
こんなもんかと、その会社で茹であがる前に、ほかの世界はどうだろう?と、積極的に
異業種交流会で人の話を聞いたり、ネットで調べてみるといいです。
「大海を知らない井の中の蛙」では一回きりの人生もったいないです。
でも、くどいですが、「公務員や優良企業など後戻り出来ない職」をあっさり辞めないで
よくよく考えてくださいね。(これは公務員の息子へのメッセージでもあります)
【最後に】
結果オーライで、一回目の転職に成功した僕ですが、二回目の転職では失敗も経験します。
僕が若い時代の転職は、友人知人のコネや、ハローワーク(職安)だけで、少ない情報から
転職先を選ぶしか方法が無かったので、スカを引くこともありました。(その話は、
転職カテゴリーでまた書きます)
今は転職エージェントに登録しておけば、「あなたに最適」な好条件転職が可能になって
います。複数のエージェントに登録する事も出来ますが、まずは、比較サイトでじっくり
吟味することをお勧めします。
こんなおいしい仕事があったのか!と、目からウロコもあるかもしれませんね。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
【PR広告】

